卒業式(324日(金))・清水帰港(331日(金))

 

北極星が日一日と高くなり,南十字星が水平線の下に隠れるようになってくると,日本が近づいてくることが実感できます.朝の体操に出てくる学生の服装から短パン・Tシャツスタイルが徐々に消えて行きます.

マジュロ出港の翌々日の3・24に卒業式を行いました.青い空と強い日差しの中で,卒業式は行われました.一人一人に卒業証書と記念品が手渡され,研修団・船の方から祝福されます.今回は卒業生の中に総長賞を授与された者もあり,感激の一日でした.総長や各大学から祝電をもらい,洋上にいながらとても注目をされている気分でした.研修団からも各大学で開催される卒業式に祝電を打っています.「この祝電は,必ず読まれすからいい文章を考えてください」と担当の先生にハッパをかけて祝電を打ってもらいました.(3・25の湘南校舎での卒業式に出席された先生に聞いたところ「私は研修団からの祝電は聞かなかったなー」でした.あれと思いましたが,きっと別のことに気をとられていて聴き落としたのだろと思っています.)

洋上卒業式

日本が近づいてくると,日本は低気圧が周期的に移動しています.東京付近にある低気圧を見ては,「どうしよう天気が荒れる」といっている人もいれば,天気図などは何も見ないのに「いつ揺れるのですか,いつですか」と揺れることを期待しているもいました(この人は,実は揺れに大変弱い人です).実際に天気図を見ていると,低気圧と低気圧の間を通って清水に入港できそうでした.多少揺れるかも知れないが,たいしたことはないだろうと思って荒天騒ぎを見ていましたが,無責任な荒天予想には少々困ってしまいました.

実際は,低気圧と低気圧の間をうまく抜けた(船のほうで,そうなるように航路の設定をしてくれたおかげですが)ので,低気圧による揺れはたいしたことがありませんでした.しかしながら,春なのに日本列島全体が冬型の気圧配置になり,北風を正面から受け困ったことになりました.でも,1ヶ月半の船での生活は伊達でなく,ブリッジで大波に揺れる船を見ながら荒天を多くの学生が楽しんでいました. それでも,部屋で寝込んでいる人もいましたが,「日本が見えますよ.御前崎ですよ.」と言うと飛び起きてきて,目を凝らして見ていました.3月29日の夕刻に清水港沖に望星丸は停泊しました。

330日の朝

清水周辺は桜が満開でした.春霞でかすむ富士山を見ながら3・30は「さよならパーティ」を夜遅くまで,開催しました.みんな泣きながら分かれを惜しんでいました.泣きながら肩を組んで歌を歌うシーンはいつまでも心に残っています.学生の提案で,全員の手形を押したさよならパーティの看板を作り,「10年後の自分へ」という手紙共にタイムカプセルに収めました.

 

3・31は清水港に入港し,帰港式に臨みました.2・15に清水を出港したときの全員で帰港式に臨め,安心感で一杯でした.総長のニコニコした笑顔と心配をかけてくれた学生長が元気よく帰港の挨拶したことが印象的でした.団長から総長へ団旗の返還が終わったときには,「ほっとした」こと以外はなにもありませんでした.

望星丸との別れです

こうして,45日にわたる研修航海は終わりました.準備からあわせて9ヶ月あまりになる3回目の研修航海は,大変の一言に尽きますが,研修航海終了後も学生達が何かがあると集まり,交歓をしていると聞くと,自分の行ったことに誇りが持てる気分です.学生たちは,研修航海の写真展を計画中です.研修航海のときと同様に,みなで一致団結して写真展を成功させてくれると確信しています.

 

最後に,さよならパーティで作成したタイムカプセルは,現在,私の研究室で10年後のその日を待っています.

 

 

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