タラワ(キリバス共和国) 3月3日(水)〜3月4日(木)

 

    3/2にマジュロを出港した翌日の朝タラワに着きました。パイロットの到着を待ち、タラワラグーンの中に入り、タラワ環礁の中のベシオ沖に望星丸は停泊しました。ベシオの港は水深が浅く望星丸では接岸できない(現在日本のODAで大日本土木が港の改修工事をしており、来年には望星丸も接岸ができそうです)ので、バージと呼ばれる浮き桟橋での上陸となりました。このバージ一見した所では唯の鉄の板、その上に100名近い人が乗り小さな艀で引っ張って行くという代物です。我々のために望星丸の乗組員の方々が体を張って安全を確保してくれました。感謝、感謝です。私は、仕事の都合でバージによる上陸とはなりませんでしたので、望星丸の上からよたよたと進んで行くバージをビデオで撮りながら見ていました。

 

 

バージによる上陸 ・ ヘルメットの人達が私達の安全を確保してくれた望星丸の方々

 

  先発のバージ組に遅れること1時間、小さな艀で上陸しました。波で揺れる艀へ望星丸のタラップから移るのは結構神経を使うものでした。私は簡単に移動したのですが、なかなかうまく行かない人もいました(航海工学科の練習生がもたもたしていたら、何をやっているかと怒られていました)。

  タラワは、太平洋戦争における日米の激戦地の一つで、ベシオには至る所に旧日本軍の施設跡がありました。白い珊瑚や蒼い海とそれらの施設跡のコントラストが大変妙でした。ベシオの隣の島バイリキには、フリーマーケットがあり、鰹などが売られていました。バイリキのラジオ局を見学に行くと、隣にある新聞社に案内され取材を受けました。写真を撮られ、次号には記事を載せるとのことでした。(記事の載った新聞を送ってくれと言って来ましたが、まだ私の手元には来ていません。)ちなみにラジオは、英語とキリバス語の2ヶ国語の放送でした。

  バスに乗って北のビキニベウまで旅をしましたが、どこを見ても椰子の木と白い珊瑚、蒼い海でいっぱいでした。ラグーンも外海も白い珊瑚と蒼い海で綺麗そのものです。外海は遠浅でかなり遠くまで歩いて行けました。赤道直下で、日差しがきつく日中は外を歩けたものではありませんが、椰子林の中にある家々は風通しが良さそうで、タラワに適した家だなという感じです。

 

 

ベシオの街中。木々の中に家があります

 

  現在の日本との繋がりは、密接にあるようで、日本の漁船の船員の募集の広告を見たり、実際日本の漁船に乗っていたという人に会いました。また、ベシオとバイリキをつなぐコーズウェイも日本の援助でできたとのことでした。コーズウェイや港の拡張工事現場を見ていると水が濁り自然環境が悪くなっています。しかしこれらの工事をしないと生活環境が良くなりません。自然と生活どちらを犠牲にしてもいいわけがなく、うまく調和をとって行かなければならないはずです。この最適化問題の解はどの様になっているかと思い、松井先生の顔が浮かんできました。

 

 

日本の援助でできたコーズウェイとタラワラグーン

 

  涼しい風が吹いてきた夕暮れに、海岸を歩いていると夕日に映える白い船体の望星丸が、椰子の木の間から見えました。海の女王という感じで、あの船でここに来たかと思うと感激でした。再び艀に乗り、夕闇の中に浮かぶ望星丸へと戻りました。

  次回は、赤道を越えた所にある島フナフチについてお話ししたいと思います。フナフチは小さな島で、島をあげてという感じで我々を歓迎してくれました。 

 

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