クリスマス島(キリバス共和国) 3月23日(火)

 

    3月21日再び赤道を通過し、南半球から北半球へと移動し、東西に走る日付変更線を越えてクリスマス島沖に3月23日到着しました。(日付変更線は南北に走っているのが普通です。しかし、日付変更線が国内を通っていたキリバス共和国が国内の時間を統一したので、この付近ではキリバスの国境線に対応して東西に日付変更線が走っているのです。さらに言うと、クリスマス島からハワイに行くときに、もう一度日付変更線を通過しました。)クリスマス島沖には、日本の漁船が何隻も停泊し、入国審査を待っていました。沖からクリスマス島を見ていると、海岸で遊ぶ子供たちが見えました。双眼鏡でのぞくと、椰子の木々の後ろに校庭らしい広場が見えたので、学校があると適当なことを言っていました。(上陸後確認した所では、確かに学校でした。)

  クリスマス島へはバージによる上陸でした。望星丸の停泊地がこれまでと違い外洋なので、バージも結構揺れ、雨に降られるというおまけのついた上陸となりました。望星丸の乗組員の方々の八面六臂の活躍で、無事我々はクリスマス島のロンドン地区に上陸しました。

  

21世紀を最初にむかえる国キリバスの島クリスマス ・ 上陸付近のロンドン地区

 

  クリスマス島ではNASDA(宇宙開発事業団)の追跡ステーションを20名ほどで見学することになりました。バスで送迎をしてくれるとのことだったのですが、我々を待っていたのはトラックでした。2台のトラックに分乗し、荷台からクリスマス島を見ながら追跡ステーションへと移動しました。クリスマス島には、これまでの島と種類が違うのではと思える背の高い椰子の木がたくさん生えていました。また、これまでの島では、椰子の木の下には中程度の大きさの木が生えていることが多かったのですが、ここでは雑草が生えているだけでした。要所、要所にこれまでに見たような民家があり、学校のような近代的な建物も見ました。

  

追跡ステーションに向かうトラック

 

  トラックで20分ほど揺られると、NASDAの追跡ステーションに着きました。巨大なパラボラアンテナとそれをコントロールする機器の並ぶコントロールルームを見ました。(コントロールルームにある機器はすべてNEC製でした。)NASDAの人は常駐しておらず、種子島での打ち上げの際に観測に来るとのことでした。ロケットの打ち上げの時は、種子島の打ち上げセンターや世界各地にある追跡ステーションと連絡を取りあって観測を行っているそうです。その際には、インマルサットという衛星電話を数時間にわたってつないで連絡を取り合っているそうです。追跡ステーションの庭にでると蒼い海が見え、左側の水平線からロケットが出てきて、丸い軌道を描きながら右側の水平線へ消えて行くとのことでした。実際の打ち上げでは壮大なドラマが見えそうだな、などと考えていました。

  

NASDAの追跡ステーション

 

  再びトラックに揺られロンドンの街に戻り、帰りのバージの出る時間までロンドンの街中を見て回りました。人々は非常に親切でよかったのですが、日本からの手紙がタラワからの船便で、3ヶ月程かかるというのには驚いてしまいました。ちなみに、クリスマスからの手紙は、ハワイ経由の航空便で2,3日余りで日本へ届いたようです。ソースが1個(タラワ)しかないネットワークでは、こんなに時間がかかるのだなと妙な所で感心していました。(ちなみに、クリスマス島への手紙は宛先人不明で1年後自宅に戻ってきました。)結局3時間ほどの上陸でクリスマス島を去り、最後の島ハワイへ向かいました。私としては、もう2,3時間は居たい気分でした。

  クリスマス島出航直後から望星丸は揺れだしました。天気図から予想できていたことでしたが、予想以上の揺れでした。朝起きると、机の上の書類が床中に散乱していることがたびたびありました。だいたい左右に25度程度は揺れていたようです。このような揺れの中、研修航海の報告書を作成しながら、我々はハワイへと北上して行きました。不覚にも私は2度目の船酔いになってしまったのですが、多くの人は、平然としており、出航直後の静かな海で船酔いの人が続出したのが嘘のようでした。

  次回は、研修航海最後の島ハワイについて話したいと思います。

 

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