ホノルル(ハワイ・アメリカ合衆国) 3月26日(金)〜3月30日(火)

 

    3月25日(木)に洋上卒業式、さよならパーティーを行い、3月26日早朝研修航海最後の寄港地オワフ島沖に望星丸は到着しました。朝起きると目の前に大きな島があり、映画や写真で見知ったダイヤモンドヘッドが見えました。双眼鏡で、オワフ島を見ているとついに最後の島まで来たかという何ともいえない感慨が浮かんできました。そうこうしているうちにオワフ島から空撮のヘリコプターがやってきて、望星丸の側を何度も通過して行きました。ヘリコプターを従え、望星丸はワイキキビーチの沖を通り、アロハ・タワー近くのホノルル・ハーバーへ入港しました。

 

 

 325日望星丸後部デッキで行われた洋上卒業式

 

  ホノルル・ハーバーでは、松前総長をはじめとする多くの方々が、我々を迎えてくれました。入港後、東海大学ハワイ・パシフィック・センターで行われたパシフィック・センター10周年記念式典に出席しました。記念式典では、望星丸で運んできた松前重義前総長の胸像の除幕式がありました。この胸像は、望星丸の中に厳重に梱包されて保管されており、クリスマス島沖の揺れでもびくともしませんでした。(ホノルル・ハーバーでは、我々団役員でトラックまで運びました。)

 

ハワイに上陸する研修生をむかえる松前総長

 

  ハワイでは、パシフィック・センター10周年記念式典、総長を迎えての修了式と公式行事を行い、宿泊場所を望星丸からパシフィック・センターへと移しました。3月28日(日)望星丸は、我々より一足早く、日本へ向かってハワイを離れました。一ヶ月半も過ごすと荷物が知らず知らずのうちに増え、荷造りが大変で、難しいナップザック問題を解いている気分でした。ホノルル・ハーバーで1ヶ月半余りを過ごした望星丸を見送っていると一抹の寂しさを感じました。多くの研修団員がそう感じたのか、望星丸の汽笛を聞くと涙ぐんでいる人も多くいました。

 

 

 我々より一足早く日本へと出発する望星丸

 

  ワイキキのショッピングセンターで土産物を探す人も多かったのですが、私は、ビショップ博物館や、アリゾナ記念館を見て回りました。(当然、お土産のショッピングもしましたし、他の人のショッピングの案内もしました。)他の場所に行った人の話では、郊外のショッピングセンターは、ワイキキのショッピングセンターとまた違いおもしろい物が多くあったそうです。

  アリゾナ・メモリアルの近くに、この春から公開されたばかりの戦艦ミズーリも停泊していました。ミズーリは公開されたばかりで、まだ見学用の施設は整っていなかったのですが、重光葵外務大臣がマッカーサー将軍と降伏文章を交換した場所は、はっきりと分かりました。ここから、今日の日本が始まったなとか、映画の「マッカーサー」の場面と同じだな、などと思いました。ここで、日本の降伏文書のレプリカを見ました。重光葵のサイン、マッカーサーのサイン等が記載されアメリカ、英国、ソ連等の代表のサインもありました。(ちなみに、降伏文書のレプリカを見たのは、ニュージーランド、フランス、イギリスに次いで4回目です。)アリゾナ・メモリアルはミズーリと違い観光地と言うよりは、本当のメモリアルという場所でした。パール・ハーバー内にあるアリゾナ・メモリアルに移動する前に、日本軍による真珠湾攻撃に関する映画を見せてもらいました。非常に客観的にできた映画で驚いてしまいました。アリゾナ・メモリアルは、パール・ハーバー内に沈んでいる戦艦アリゾナをまたぐ形で作られていました。メモリアル上から海をのぞくと戦艦アリゾナの不気味な残骸が見え、戦争の不気味さと静寂を教えてくれました。メモリアル内部には、アリゾナの船上で戦死した人々の名前の刻まれた部屋もあり、「ゴッド・ブレス・オブ・アメリカ」が流れていました。

 

アリゾナ・メモリアル

 

     3月30日(火)ホノルル空港から成田へと飛行機で帰国し、1ヶ月半に渡る研修航海を終了しました。44日にわたる海外研修航海の間、毎日が忙しく大変な日々でしたが、時が経ってみると楽しい思い出ばかりでした。普通では、決して行けない南の島々を巡った日々は、私にとってかけがえのないすばらしいひとときであったと思います。

 

 

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